イタリア話を書き始めてしまいました。アーカンソーネタに戻るときはあるんでしょうか?
by flyingshack
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おのぼりさんLAへ行く その5
世界ウルルン紀行的夕べ


Washyが書いた「大きなイベント2つ」のうちのひとつ。

僕がアメリカを最初に訪れたのは高一の夏休みだった。一ヶ月弱アメリカ人家庭にホームステイ。生まれ育った静岡県三島市は小さいまちだけれど、1957年に全国で4番目に海外都市と姉妹都市提携を行っている。正月のローズ・ボウルやローズ・パレード、ハンティントン・ライブラリーで有名なロサンゼルス近郊のパサディナ(Pasadena)が相方だ。姉妹都市交流の一環として、毎年2名の交換研修生を派遣しており、僕は運良く選ばれた。

今の僕を知っている人は想像がつかないだろうが、親戚の家にですら緊張のあまり泊まれず、食べ物の好き嫌いが多い繊細な少年だった(今だって繊細なんだけどね)。英語しか話せない家にたった一人で放り込まれたことは、画期的なことだった。

お世話になったのは、実際にはパサディナではなく近郊のアケイディア(Arcadia)のP家、アルタディナ(Altadena)のW家とF家で、各家庭には同世代の子供がいた。各家は知り合いで、特にP家とF家はパパ同士が同じ職場だったこともあり、仲が良かったようだ。

ホームステイの初めは、お互いに探り合いだったが、すぐに居心地のいい環境を作ってくれたことは、どの家族の人々も、それぞれに暖かく、優しく、理解があったのだと思う。カリフォルニアの青い空と、見る物すべてが物珍しい世界にすっかり魅せられて、ちっとも日本に帰りたくならなかった。それどころか、帰国後に逆ホームシックになったくらいだ。

大学生のとき、パサディナを再訪したことがあって、3軒のパパ・ママに会うことができたが、その後ヒューストンに暮らしていた3年間には再会できなかった(LAには行ったのに…)。昨年末にF家のパパ(Fパパ)から連絡をもらい、年末にFママが亡くなったことを知った。それで、是非とも会いたいと思っていたところ、ちょうどロサンゼルス近郊で開催される学会に参加することになった。

Fパパは、P家でBBQをするようセッティングしてくれた。約束の時間に少し遅れて到着すると、僕らの車を見つけるやいなや、待ちかねていたように全員が庭から次々表通りに出てきて、躊躇ない満面の笑顔withハグで迎えてくれる。驚いたことに、当たり前のようにみんな僕の名前を正しい発音で覚えていて、呼んでくれるのだ。こみ上げる物があったけれど、僕より先に涙をこぼしていたのは、初対面のWashyだった。

Fパパ、Pパパ・ママとは17年ぶりの、LAエリアに住んでいるP家の子供達(といっても立派なおじさん)も来てくれていて、彼らとは実に26年ぶりの再会だった。

P家のある場所はアケイディアという市だが、近くに山が迫っていて、風光明媚かつ閑静な住宅街にある。庭に入ると、26年前と変わらないたたずまいが広がり、お互い確実に年をとっているけど、昔に戻ったような妙な感覚。パパ・ママは、それなりのお年だと思うが、背中も真っ直ぐで、肌もツヤツヤして、元気だ。P家には、26年前にすでに孫がいた。今はその孫に子供がいる。Pママはひいおばあちゃんってわけだけど、とてもそうは見えない。さらにすごいことにPママのお母さんがご健在。青い服で統一した5世代家族集合写真を以前クリスマス・カードでいただいたが、同じものが居間に飾ってあり、あらためて感心した。アメリカ人おそるべし。

飲み物は、保守的なアーカンソーでは考えられない、アルコールがたくさん用意されており、よりどりみどりだった。前日のnovaさん宅で飲み過ぎて二日酔いだったが、誘惑には逆らえなかった。(マキコさん、ごめんなさい。実は前祝いのシャンパンここで飲みました。)

Pパパ、Fパパは政府関連の研究所の所員だったが、おそらく生物学とは全く畑違いの仕事。Pパパはリタイアし、老後を楽しんでいる様子。Fパパは数年前に研究所を辞めて、IT関連の会社を興したらしい。インテリな上に、いろんなニュースもチェックしていて、質問に容赦がない。今の仕事(癌研究)について、根掘り葉掘り聞いてくる。しかもPパパは、最近ワトソン&クリックのDNAの三次元構造なんかに感化されたようで、興味津々である(この人達はいったい?)。でも、素人にマニアックな研究の講義をするのは難しかったので、詳しくは説明できなかった。

PママがWashyを連れて家の中の案内をしている。朝食を摂っていたダイニング、いつも大きな犬が寝そべっていたガーデンルーム、初めてチェスでお兄ちゃんに勝った居間、寝泊まりしていた部屋、使っていたバスルーム、家具や調度品は変わっていると思うが、どこも昔のままで懐かしい。

楽しい時間というのは早く経つものだ。日本の住宅事情や通勤事情の話とカリフォルニアとの比較や、家族の近況、旅行のことなんかを話しているうちに、翌日仕事がある人たちは順に帰り始めた。僕らも翌朝学会に行く予定があったから、名残惜しかったけど夜11時前には失礼した。

b0068732_710089.jpg初対面から四半世紀以上が経ったが、26 x 3通のクリスマス・カードが、僕らをつなぎとめていてくれた。年末の忙しい時期にカードを選んで、英語の手紙を書くことが面倒なこともあったけど、出してて本当によかったと思う。しかしF家から去っていくとき、大粒の涙を流して別れを惜しんでくれたFママは、もうこの世にはいない。お墓にも行けなくてごめんなさい。どうか安らかにお眠りください。W家の皆さん、ご無沙汰してます。またいつか来ます。

高校時代アメリカで過ごしたこの一ヶ月は、当時ヒットしていたサーカスのアメリカン・フィーリングとセットで、今でも鮮烈な記憶として心に刻まれている。そして、僕のアメリカ生活の原点は、この素敵な家族との出会いにある。
(reported by Doc)


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by flyingshack | 2005-04-27 16:40 | アメリカの旅
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